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2010年06月06日

コロナルな昼下がり

このところ、コンビニではNEWDAYSにハマっています。たぶんJR東日本の駅にしかないということなのでしょうが、進境著しいと言っていいでしょう。


このところ、とみにスパゲティーの頻度が増しました。短時間、お手軽なズボラの味方です。
それとやはり、もやしでしょうか。


べつに、日本でもっと小麦を作ればいいとか、ご飯を止めるべきだとか、そういうことを言いたいわけではないんです。
そうではなくて、自給率をめぐる言説とイデオロギー、あるいは身体管理の親和性を考える必要があるだろうということを言いたかったのです。次元が違います。
付け加えるなら、ご飯は果たして我々にとって伝統的な食品なのかどうか。わたしの不備で指摘しそびれましたが、これも疑われるべきだと思います。

と、先週の金曜日について。

自由とは、切り立った縁のような思想です。均衡状態はありえない。
だからわたしは、常に「非生産的」な解体を繰り返すのです。


この曲が流れていたのはいつだったか、その前の木曜日ということでしょうか。





Fast Car/Tracy Chapman  

Posted by シナモン at 01:54Comments(0)

2010年06月04日

よすが

苦しみや悲しみがあるからこそ、歌は心を揺さぶります。


本当につらくてーこんなことばかり書いていることは反省しますー、いっそ研究会をやめたくなっています。
どうつらいかを文にするのもつらいので、具体的には書きませんが、早い話が人間関係です。

こんな時期にこんなことで悩むのもイヤだし、自分がこんなことで悩んでいるのもイヤだし、こんな悩みでやるべきことが手につかないのもまた、イヤです。幾重にも、つらい。

本当は頑として乗り越えてゆかなければいけないのですが、本を読んでいてもうわの空でいけません。
あまり気晴らしが上手ではないわたしですが、ちょうど今日iPodに新しい曲を入れたこともあって、もう音楽を聴くしかないかな、という気がしました。


渇いた心、とはよく言ったものだと思います。裂かれるほどにいとおしい声でした。
この声に涙を流したのはいつ以来でしょう。


そういえば、昨日あなたが夢に出てきたのでした。今までで一番長くお話しできました。楽しかったです。
わたしはあなたを信じているから、それでいい。そんな気持ちにもなりました。たとえもうあなたがいなかったとしても、それでも構いません。





<向かいあわせ,トンネル/aiko>  

Posted by シナモン at 00:54Comments(0)

2010年05月24日

いたり名に、とは

あなたに直に誓ったからには、もうやるしかありません。
決して、いつまでも、わたしのことを忘れないでくださいね。


こんなに満ち足りた気分になったのは、いつ以来でしょう。
「たのしい」や「しあわせ」や、その他のどんな言葉も邪魔でしかありません。
ただ、このまま浸っていたい。
せめて、今日まではどうかこのままで…


そう、もうすぐ終わるこの時間。
名残惜しい反面、強い勇気もわいてくる。
この胸の中のあなたがすべて。時が過ぎても、あなたがいてくれる限り大丈夫です。


ほんとうにありがとう。またね。




<夏が帰る&鏡/aiko>  

Posted by シナモン at 23:14Comments(0)

2010年05月23日

つきよに

ちょうど1ヶ月、ごぶさたしていたようです。
この間のわたしがどうであったかということは、よくわかりません。
覚えているだけの事実を挙げれば、友人らと会ったり、ゼミの仲間としばしば話したりはしています。カラオケはあまり行かず、卒論研究も院試の勉強も遅々として進んでいません。スマートフォンに変えました。すこしばかり、お金が入りました。定食屋の店じまいがありました。そうそう、体調も崩しました。

こうして事実を並べたててみても、心の質的な面はほとんど思い出せません。とくに平生の心境となればなおさらです。
やはり記録しておくことは大事です。操作にも慣れてきたので、しっかり書きつづけたいところです。


友人に、「実は金持ちだよね」と言われました。頭にきたのと、自分の心の淵を見てしまったのとで、ほんとうに元気をなくしています。
しかし冷静に考えればそうなのかもしれません。「ハレ」で思い切ったことをしているのは、ある程度確かです。その分「ケ」で憂鬱をたくわえているのですが、そのせいでわたし自身の見方が歪んでいるのかもしれません。否定はできません。だから腹を立てる相手は本来、ハレのわたしでなければならないのでしょう。
けれども、そうであっても気持ちは晴れません。非があるとか、ないとかいう話ではなく、あまりに彼女の発言が能天気なのです。
ただ、これもお互い様なのかもしれません。考えてみればわたしも、彼女の日々の豊かさにしばしば皮肉交じりの視線を投げかけてきたのでした。立て続けに飛び回る予定を聞けばやっかみたくなるというものでしょう。

そう考えてみてはじめて、小さな棘をきれいに抜き去ることができたのでした。情けないことですが、反面、また少し自分のありようについて学べたことも確かかもしれません。



明日は久々に、会いに行きます。





<より道/aiko>  

Posted by シナモン at 00:00Comments(0)

2010年04月22日

ヘテロトピア

先日、所用で埼玉に行ってきました。
ついでにどこかに寄ろうと思い、どうしたものかと迷っていたのですが、気付くと以前住んでいた土地へと向かっていました。

さしたる用はなかったのですが、いざ行ってみると、これはぜひとも来る必要があったのだという気がしてきました。大学生活の総括を、気持ちの上だけでもする、しようとするべきだったのだと。

わたしの住んでいた部屋には誰か入居しているのでしょう。4分の1ほど開いた雨戸から、暗闇のなかにレースのカーテンが見えました。

馴染みの店には相変わらずあのおばあさんがいました。

酒屋さんが店を閉めてからしばらくテナントが入っていなかった場所は、見慣れないスーパーになっていました。
安いのはいいけれど、あのなんともいえぬ「商店」という雑然さが消えていたのは少し寂しく思われました。それでもシャッターが下りていた当時を思い出し、ひとまずほっとしました。

狭く、また工事が多く、わずらわしく思っていた道はすっきりと整っていました。
わたしがかの土地から離れた要因に、雑然とした街並みが多少なりともあったことは否めません。素直に好ましい感じを受けました。

よく行っていたレストランで夕食を食べました。見慣れた店員もいましたが、よもやわたしのことを覚えてはいないでしょう。

歩いた範囲では、あまり街並みは変わっていませんでした。きっとわたしも変わっていないのでしょう。
歳々年々なんとやら、とはいうものの、相変わらず屈折し、迷っているわたし。そして内容はともかく、その悩み方もたぶん、大して変わってはいないはずです。いわばわたしの「文法構造」は、やはりあの頃と同じだなと思うのでした。


来年の今頃はまた、どこかに引っ越しているはずです。そしておそらく別の土地に通っているはずです。
場所への思いを実感として大事にかみしめながら、研究をしてゆけたらと思っています。
  

Posted by シナモン at 20:00Comments(0)

2010年04月16日

眠れない夜は 優しい歌に包まれて

お久しぶりです。
やはり、パソコンでないと億劫になってしまいますね。



新学期が始まりました。まだバタバタしていて軌道に乗りきっていませんが、気張ってゆかねばと思っています。
それにしてもこの寄る辺なさ、足場の悪さとでもいうのでしょうか、参ります。それが醍醐味でもあるのですが。

そして久々の大学だからか、妙に疲れやすく眠れません。困ったものです。



山は、ゆっくりと霧を吹いたように萌葱です。
やがて緑は濃く、葉はその姿をあきらかにしてゆくことでしょう。そうした躍動もいいけれど、しかしこの霞のやわらかさ、カルスのあどけなさには何か胸をときめかせるものがあります。
これが、春でしょうか。

桜は、凛としてきよらかです。
日本人だけがこの散りようを、あるいはこのたゆまぬ、ひきしまった薄紅を愛でるのでしょうか。
そうだとしても、そうでなかったとしても、案外わたしはこの花が好きなようです。山の頂から、麓の新たな青春―まさに青春、入学式―へと舞う桜を見ていたら、おさえがたくいとおしい気持ちになりました。

きっと次の季節も、わたしは愛しているのでしょう。そうやってまた春に微笑んでいられたらいいなと、思っています。





《コミットメントの一貫性》
  

Posted by シナモン at 03:05Comments(0)

2010年03月25日

羅列

ややご無沙汰しております。
書きかけの記事があるのですが、先に新しいものから投稿しようと思います。


思えば、春休み中ひたすらモヤモヤしているような気がします。特に最近は顕著です。
こうなれば不安は募る一方で、もはや水中に立っているかのような、そんな寄る辺ない思いです。


「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ…」とかいう言葉があるようです。下の句は正確にはわかりませんが、ともかくそこから一歩踏み込んでしまえば「極楽」だということのようです。
なるほどと思う反面、極楽って何だろう?とも思います。集中を一点に収束させることができる、そうすることで一種のトランス状態に没入できるということでしょうか。
そうであるならばわたしは極楽と切り結ぼうとしているのでしょうか。言われてみれば、そんな一面は確かにあるかもしれません。

ただの逃げだと思っていました。今でもそうした見方を捨てたわけではありません。
しかし虚心に正面から向き合ってみると、必ず考えておかなければならないことであったようにも思えます。解体が自分自身にまで及んでいるということ、それが深刻な危機をももたらしかねないということ。
それから、大学生活においていくつかの重大な勘違いがあったのではないかということ。もしかしたら、よく遊ぶことが芯から「正しい」―損とか得とかではなく―のかもしれないということ。

当然なのですが、やはりアイデンティティは必要なようです。もう少し言えば、それは「○○である」という命題でなければならないようです。
弁別的に要素を引き剥がしてゆくような、消極的なアイデンティティでは身が持ちません。いや、それは果たしてアイデンティティなのでしょうか。

「表現者」が何たるか、わたし自身全く定義できていません。ただ(もしくは、従って)、まず何者かであらねばならない、それでなしに単なる「表現者」としては存在しえない、これらは確かだろうと思うのです。

あまりに遅れすぎましたが、少し見えてきた気はします。ようやく腹をくくる覚悟が整ってきました。





《すばらしい日々/ユニコーン》
  

Posted by シナモン at 20:21Comments(0)

2010年03月19日

手と爪

わたしの家庭を襲った「事件」をもとに文章を考えていたのですが、あまりの急展開にほとんど全て吹き飛んでしまいました。
悲劇が一転喜劇、とまではいきませんでしたが、しかし肩すかしの切れ味たるやすさまじく、さながら「ちびまる子ちゃん」のオチのようでした。

詳細を述べられないのが煩わしいところですが、ただマイナスがゼロに戻っただけなので事態は何も変わっていないとも言えます。したがってここから文章を紡ぎ出すことはまだ可能です。温めておこうと思います。



今日は、歯を磨いてみたら歯周病のために歯茎が2センチくらい浮いてしまっていた、という夢を見ました。ナーバスになっているネタということもあり、非常に焦りました。



三池先生、わたしは一体どうしたらいいのでしょう。あなたがにべもなくわたしを突き放すさまはありありと目に浮かびますが、それでもお尋ねします。





《大迷惑/unicorn》
  

Posted by シナモン at 00:10Comments(0)

2010年03月15日

春雷

あなたに宛てながら、今日もまったくわたしのために書き続けています。
書くにあたって、あまり昔の記事を読み返すことはしません。とりもなおさず、わたし自身の記録のためだからです。この慇懃無礼。



普段は不安は感じてもあまり悲観的にはならないのですが、無意識に刷り込まれてしまったのでしょうか、ひょんなことから未来に対する恐怖に襲われました。
不思議でした。過呼吸で震えが止まらなかったのに、それ自体は怖くありませんでした。いや、未来もそれほど怖くなかったのかもしれません。むしろ罪悪感、でしょう。

つまり全然勉強していないのです。コンパスも未だにぐるぐると回っているのです。針だけではなく、コンパス自体が回っているのです。

思うようにしていいと言われたからには、少し立ち止まりたい気がしています。ここまでノンストップで追い立てられて、目標と時間の流れについていけていません。走行中の車の外側にしがみついている感じです。
ストレートできていることだし、生活費を稼ぎながら一旦リフレッシュしたい。ここで適当にパスしてしまっては、かえって何者にもなれないのではないか。言い訳か本音かは、もはやわたしにも解りません。



昨日に引き続き、上手にさらいきれません。とにかく今、わたしのアイデンティティが強く揺れていることは確かです。



心身ともに、一向に調子の上がらない春です。





《生きてることが辛いなら/森山直太朗》
  

Posted by シナモン at 23:05Comments(0)

2010年03月15日

春愁

人が支え合って生きているのは間違いないと思います。しかしだからといって漫然と感謝を振りまけばいいのかといえば違う気もするし、そうしたいわば自然な優しさを善いことと認めたくない気もします。決して「善くない」と言いたいわけではなくて、あくまで一種の妬みと訝しみなのですが。

周りの人のために何かを成し遂げる、という言い方も、モチベーションとなりうることは認めますがそれ以上のものではないと考えます。返報性を強く意識せずとも、わたしは何かしらの成功は基本的にまず自分のためだと思っていますし、それ自体は悪いものではないとも思っています。

のっけから重たい話をしてしまいました。多少の事情からふと、誠意や身勝手さ―つまるところ倫理でしょうか―について考えてみたくなったのです。
ただ、いま上手にまとめられる気はしませんし、細かな事情をお話しするのも何となくはばかられるので、中途半端ながらこれ以上は触れません。機会がありましたらどうかまた聞いてください。

身近の些細ないらだち(と、書いてしまいますが)からこんなことをごちゃごちゃと考えるのもスマートではないのかもしれません。しかし内実を意識してこそ諸々の行動が誠実さとして結実するのではないでしょうか。あるいはもし、こうした領域まで無意識的にイメージに操られてしまうとしたら、恐ろしいとは思いませんか。



いろいろと考えていたら疲れてしまいました。いつもながら、しゃべるだけしゃべっておしまいです。
こんなことをあなたに宛てて書きながら、いまわたしがあなたのことを想っているのか、もはやわたし自身にはわからなくなっています。きっと想っている、そう信じて綴り続けています。
  

Posted by シナモン at 00:59Comments(0)

2010年03月12日

スウィッチ!

電車の窓から、めずらしくボンヤリと外を眺めていました。
普段は音楽を聴いたり本を読んだり眠ったり、とかく何かをしたがります。昨日もそうして過ごす、という選択は可能だったわけですが、しかしわたしは景色を眺めていました。

よく「人生に無駄な事はない」と言います。まったくその通りだと思います。「人生に有意義に捉えられない事はない」と言い替えるとより明らかでしょう。
こうした言葉自体にさほどの意味は感じませんが、しかしこれを実現させながら生きてみたいものだ、とは思います。ボンヤリとしたその生活をも活かしきることは、やはり容易ではないのでしょう。



友人―そう、以前登場した彼女です―に、「文章がきれい」とほめていただきました。
ほめ言葉は何であれうれしいものですが、これは本当に心にしみわたる一言でした。
彼女の俗っぽい文章はかえって持ち前の快活さも感じさせ、何より「きれい」の3文字が言いようのない温かみと甘美さを漂わせていました。

ここまで書いてようやく、わたしは自らがいかに野暮であるかに気付きます。なんとはなしに、デリダの言う(書く)暴力性を思い返しています。

とまれ、井上靖風に言えば、美しい故里に生まれながら美しい心も持たないわたしですから、せめて文章くらいは美しくありたいと思うのです。
  

Posted by シナモン at 15:15Comments(0)

2010年03月10日

Beautiful Fighter

大学の成績が出ました。
今までではじめて、思っていたよりも良い成績でした。

この1年、大学の授業について言えば真面目に取り組んできたつもりです。出席もよくしたと思いますし、何より能動的に入ってゆけていたと思います。ようやく「取りたい授業」に専念できたということが大きかったということでしょう。
ただ、レポートや試験に十分な力を尽くせたとは言い難く、不安と不甲斐なさに打ちひしがれていました。客観的な評価がどうであったにせよわたしの1年間の内実が変わるわけではありませんが、評価が低ければ少なくとも来年に影響を及ぼすことは間違いありません。

そうした重苦しい気分からようやく解放されたわけです。特に専門科目の成績がよかったのは今後を考えると大きかったように思います。
「客観的な評価がどうであったにせよわたしの1年間の内実が変わるわけではありませんが、」それでもよい内容ならばよい気分で2009年度を締めくくれます。本当に、ほっとしました。



話は変わりますが、ここ数日の寒さはすさまじいものがありますね。
昨晩は猛烈にアラレが降っていました。いったい何と呼ぶんでしょうね。暴風雨、暴風雪ですから暴風霰でしょうか。
今日も晴れ間はのぞいたものの冷え込みました。散歩でもしようと思っていたのですがついに家から出られませんでした。



元気も出てきたので、がんばります。  

Posted by シナモン at 19:28Comments(0)

2010年03月07日

いまはやり、「生活」

いつからでしょうか、わたしはすっかり歯が悪くなりました。あとは親不知くらいで、たいていの症状のカテゴリーは制覇してきています。

今回は歯茎にできものができました。膿を出してもらったり抗生物質を飲んだりしたのですが、快方には向かいつつも治ったのかはよくわかりません。
調べてみたところ、恐らく虫歯の菌が侵入したものと思われます。はじめ歯槽膿漏を疑っていたのでいくぶん気分は楽になりましたが、なんといっても歯茎の違和感が残るだけにすっきりしません。



詳しく内容を理解しているわけではありませんが、快活で知られる友人が大いに悩み苦しんでいるようです。

わたしは大学に入ってから独りで過ごしてきたと言える自信があります。決して自嘲ではありません。単なる事実です。
もちろん、周囲とかかわりがなかったわけでは決してありません。むしろ友人や家族は重んじているつもりです。
しかし絶対的にわたしは独りでしたし、今もそうです。全てこの身一つに受けてきています。

友人は周囲の心ない噂に耐えかね、また擁護してくれる彼女の友人を板挟みにすることのつらさも感じているようでした。だから相談するのはやめて彼女自身で、一人で引き受けようと述べていました。

自分自身で苦難を背負いきるということは、その言葉がある種の美しさを見せてくれる反面、本当に心身に堪えます。
彼女が空虚な重荷に苦しむことも、無意味とは言えないのでしょう。しかしながらわたしの思いとしては、彼女にはそんな思いをしてほしくありません。自分が乗れるような相談ではないし、何か力になれるとも思わないけれど、とにかく人と共有してほしいと思うのです。

あらためて、人と生きる大切さを思った次第です。



おもしろネタ、ありますよ。でも説明が長くなるので自重します。





《「端然」》
  

Posted by シナモン at 01:30Comments(0)

2010年03月02日

幸運を呼ぶカラチ

すっかり申し遅れたかたちになりましたが、タイトルは内容と無関係なワードをデタラメにチョイスしているだけです。こう書くと「デタラメ」も外来語のようですね。

それから末尾の《》は、その時思い浮かんだサムシングをメモしています。
昨日の九州大学法学部は、再来年度から急に受けづらくなるようです。驚いたので書き留めておきました。

そういえばこの間"the Butterfly effect"(バタフライ効果)という記事を書きましたが、同名の映画(ドラマ?)があるようですね。
ただあらすじを見る限り、バタフライ効果というよりタイムパラドクスでした。実際どうかはわかりませんが。



月のはじめに意気込むと、決まってつまづくのがいつものわたしです。覚えているだけでももう10年くらいこんな感じです。
案の定今月もけつまづいてしまいましたが、そういうものだと思えば案外何でもないものです。

ただいずれにせよ、トータルでの成果が求められる月であることは間違いありません。髪を切って穢れを祓い、アグレッシブに生活してゆく所存です。



歯茎の腫れが不安です。





《Creamed potatoes/矢井田瞳》
  

Posted by シナモン at 12:44Comments(0)

2010年03月01日

前足を希求して

2月が過ぎ去りました。
わたしにとっては驚くほど腰の重い月で、かつ体調面でもアクシデントがあり、不満以外の何物でもありませんでした。よいニュースといえばバイト先でお世話になっている方がご結婚したことと、町田に行けたことくらいでしょうか。

あなたはいかがでしたか。



今日は順天堂の保健看護学部の入試があるようです。案内の人が立ち、見慣れない制服の高校生が歩いていました。



今日でオリンピックも終わりとなります。スポーツ好きのわたしはついつい見てしまったわけですが、単純におもしろい競技の数々にワクワクさせられました。
日本選手の活躍を取り上げるのは結構ですが、それ以外にもいろんな競技を取り上げてほしかったなとは思います。NHKの貴重さと、リュージュの事故の皮肉を感じずにはいられません。

アイスホッケーの後に観たサッカーが、なんとものろまで平和なスポーツだったことも付け加えておきます。スロバキア、惜しかったですね。



今月も佳き月となりますようお祈りしています。





《九州大学法学部》
  

Posted by シナモン at 23:19Comments(0)

2010年02月25日

大命題

わたしは常に、笑いを取ることばかり考えています。

などと突然書くと、今までのいかつい文章をお読みになったあなたはあっけにとられるかもしれません。あるいは、このゲーデル命題に面白みを感じていただけるかもしれません。

後者であることを願いつつ話を進めます。そんな人間なので、ネタの切れ味には人一倍敏感です。
理想は鋭くスマートで、かつ密やかなネタです。「かまいたち」のような感じでしょうか。加えて切り口の場所及び形にも十分気を配らねばなりません。
当然これ自体難しいのですが、相手にも切られたことに気づいてもらわねばなりませんので、そういう面からしてもハードルは高いわけです。
とはいえ、受けを狙う顔をして笑いを取りにゆくようなナンセンスな真似はしたくありません。峰打ちの美しさにもこだわりたいというわけです。

とにもかくにも精進あるのみです。

今日は特にネタを用意してあるわけではありませんが、今後少しずつでもご披露してゆければと思っています。



話は変わりますが―共通点はありますが、自分の発言の軽率さにはうなだれるばかりです。
いや、あまり書いても暗くなるだけなのでやめましょう。ならば振るなという話なのですが。





《Jasper/木村カエラ》  

Posted by シナモン at 10:50Comments(0)

2010年02月24日

the Butterfly effect

この間の記事では何も書き始めないうちから弱気になってしまいました。
中身については追々書くことになるでしょうが、ともあれ腹をくくるほかありません。よい報告ができるようがんばろうと思います。

「必ず太陽が昇るならば 昨日がもう帰ってこないなら
寄り道しても前に行くしかない だから彼女は待つことをやめた」
初めて聴いた日、7年前のaikoさんの声を思い出します。

決して誰かのために頑張るわけではないけれど、仲間の思い、無念を背中に感じながら頑張るのも悪いことではないと思います。みんながわたしをどう捉えているかはわかりませんが、わたしは直接的ではないにせよ、みんなを受け継ぐ気持ちでいます。
そして何より数年前のわたし自身に捧げたいという思いもあります。

とにかくもう、怯んではいられません。やってみます。



2月23日、〈富士山の日〉ということで『想像の共同体』を読み始めました。
どうもイデオローギッシュなにおいを感じませんか。わたしの家からしばらく出ないと富士山は見えないのですが、それでも今日は富士山に思いを馳せねばならないのでしょうか。
そもそもこうした日を行政が設定すること自体にきなくささを覚えます。世界遺産に登録されるというのはいったいどういうことなんでしょう。

けだし、静岡県民に富士山を意識しろと訴えるのは、あまり意味がないのではないかと思います。そういう要求を出す時点で「信仰」の衰退を容認していることにもなるわけですが、生活の景観に富士山がある場合に限って考えてみても、普段無意識かといえばそういうわけでもないのではないでしょうか。どの山を意識しなくともあの山は「富士山」として見えているだろうと思うのです。
このなんともギクシャクした構造は、少し踏み込んで考えられそうなテーマかもしれません。

いずれにしても、今日の富士山は霞がかっていて、なかなか乙ではありましたけれど。



首というか、脊椎が痛みます。デスクワークをうまくこなせるようになりたいです。
あなたはお変わりありませんか。今回は長々と講釈を垂れてしまいましたが、どうかぐったりなさいませんよう。  

Posted by シナモン at 01:44Comments(0)

2010年02月22日

何でも勝手に行けるとばっかり 勘違いしてるんじゃないけど

正念場だというのに、思うように勉強に集中していけません。
この負のスパイラルをどうしたらよいのでしょう。

はっきり言って、もうやめてしまおうかとも考えています。



どうでもいい話ですが、最近話題のカーリング。
この間イギリスのEve Muirheadさんを見て、木村カエラさんがブリティッシュのハーフだということを再確認しました。似てますよね。
「氷上のビリヤード」、たしかに観ていて面白いです。あのスウィープは酷だなぁと思いますけれど。



もう2月も終わろうとしています。





《そのままにきみこうばいのしたにたて》
  

Posted by シナモン at 17:59Comments(0)

2010年02月21日

Prison of

そういえば、19日の「天声人語」にこんなことが書いてありました。

皮肉屋だった芥川龍之介に一言がある。<最も賢い処世術は社会的因習を軽蔑しながら、しかも社会的因習と矛盾せぬ生活をすることである>。だが、若い身空でその処世術にたけた人物が魅力的だとも思えない。

これが国母選手の話題だ、と言えばだいたいのコンテクストもおわかりいただけましょう。
普段この欄に目を通すこともないのですが、たまに読むと鋭いものですね。彼と彼を批判する人々の裏側へ伸びた切っ先が、見事に私の喉元できらめいています。
ただ冒頭のエッシャーは蛇足に思われましたが。



中古CDをiPodに落としていたら、1枚読み込めませんでした。もともとキズで安くなっていたものですが…

町田に貸しができました。



aikoさんがアルバムを出すと聞きました。最近慌ただしそうですが、あまり無理しないで、と思います。
明るいのにどこか孤独というか、閉じているその感じが、わたしは好きなのです。変な言い方ですが、湿っぽさをたたえていてほしいなと個人的には思っています。社会に消費されて乾いてしまってほしくない。ぬるくあれ。





《愛をこめて花束を/Superfly》  

Posted by シナモン at 00:06Comments(0)

2010年02月20日

「町田はいい街だ」―aiko

こんばんは。

一昨日はようやく町田「愛子堂」に行くことができました。
ぬるコムが終わってからもう7年ですね。ようやく、ようやくです。
これからは定期的に足を運ぶつもりでいます。



いつもいつも、あなたに何かを伝えたいなぁと思いつつ悶々としているわたしです。
これを読んで、あなたが何かを感じてくださるかわかりませんし、そもそも読んでくださるものか。読まれることがなければ、とりもなおさずわたしの自己満足です。
が、しかしそれでもかまいません。わたしは書き連ねます。「いま」を今伝えずに、いつ伝えるのでしょう。

もちろん、たとえばあなたがこれを伝え聞いたら何とはなしに読みたくなってしまうような文章は綴りましょう。まるまるゆかいなメッセージにはなってくれないでしょうけれども、気持ちのよいものに仕上げたいという気持ちはあります。



御託はこれくらいにしましょう。
また明日から、ぽつ、ぽつ、と、書いてゆきます。どうぞよろしく。  

Posted by シナモン at 02:55Comments(3)