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2010年03月25日

羅列

ややご無沙汰しております。
書きかけの記事があるのですが、先に新しいものから投稿しようと思います。


思えば、春休み中ひたすらモヤモヤしているような気がします。特に最近は顕著です。
こうなれば不安は募る一方で、もはや水中に立っているかのような、そんな寄る辺ない思いです。


「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ…」とかいう言葉があるようです。下の句は正確にはわかりませんが、ともかくそこから一歩踏み込んでしまえば「極楽」だということのようです。
なるほどと思う反面、極楽って何だろう?とも思います。集中を一点に収束させることができる、そうすることで一種のトランス状態に没入できるということでしょうか。
そうであるならばわたしは極楽と切り結ぼうとしているのでしょうか。言われてみれば、そんな一面は確かにあるかもしれません。

ただの逃げだと思っていました。今でもそうした見方を捨てたわけではありません。
しかし虚心に正面から向き合ってみると、必ず考えておかなければならないことであったようにも思えます。解体が自分自身にまで及んでいるということ、それが深刻な危機をももたらしかねないということ。
それから、大学生活においていくつかの重大な勘違いがあったのではないかということ。もしかしたら、よく遊ぶことが芯から「正しい」―損とか得とかではなく―のかもしれないということ。

当然なのですが、やはりアイデンティティは必要なようです。もう少し言えば、それは「○○である」という命題でなければならないようです。
弁別的に要素を引き剥がしてゆくような、消極的なアイデンティティでは身が持ちません。いや、それは果たしてアイデンティティなのでしょうか。

「表現者」が何たるか、わたし自身全く定義できていません。ただ(もしくは、従って)、まず何者かであらねばならない、それでなしに単なる「表現者」としては存在しえない、これらは確かだろうと思うのです。

あまりに遅れすぎましたが、少し見えてきた気はします。ようやく腹をくくる覚悟が整ってきました。





《すばらしい日々/ユニコーン》
  

Posted by シナモン at 20:21Comments(0)

2010年03月19日

手と爪

わたしの家庭を襲った「事件」をもとに文章を考えていたのですが、あまりの急展開にほとんど全て吹き飛んでしまいました。
悲劇が一転喜劇、とまではいきませんでしたが、しかし肩すかしの切れ味たるやすさまじく、さながら「ちびまる子ちゃん」のオチのようでした。

詳細を述べられないのが煩わしいところですが、ただマイナスがゼロに戻っただけなので事態は何も変わっていないとも言えます。したがってここから文章を紡ぎ出すことはまだ可能です。温めておこうと思います。



今日は、歯を磨いてみたら歯周病のために歯茎が2センチくらい浮いてしまっていた、という夢を見ました。ナーバスになっているネタということもあり、非常に焦りました。



三池先生、わたしは一体どうしたらいいのでしょう。あなたがにべもなくわたしを突き放すさまはありありと目に浮かびますが、それでもお尋ねします。





《大迷惑/unicorn》
  

Posted by シナモン at 00:10Comments(0)

2010年03月15日

春雷

あなたに宛てながら、今日もまったくわたしのために書き続けています。
書くにあたって、あまり昔の記事を読み返すことはしません。とりもなおさず、わたし自身の記録のためだからです。この慇懃無礼。



普段は不安は感じてもあまり悲観的にはならないのですが、無意識に刷り込まれてしまったのでしょうか、ひょんなことから未来に対する恐怖に襲われました。
不思議でした。過呼吸で震えが止まらなかったのに、それ自体は怖くありませんでした。いや、未来もそれほど怖くなかったのかもしれません。むしろ罪悪感、でしょう。

つまり全然勉強していないのです。コンパスも未だにぐるぐると回っているのです。針だけではなく、コンパス自体が回っているのです。

思うようにしていいと言われたからには、少し立ち止まりたい気がしています。ここまでノンストップで追い立てられて、目標と時間の流れについていけていません。走行中の車の外側にしがみついている感じです。
ストレートできていることだし、生活費を稼ぎながら一旦リフレッシュしたい。ここで適当にパスしてしまっては、かえって何者にもなれないのではないか。言い訳か本音かは、もはやわたしにも解りません。



昨日に引き続き、上手にさらいきれません。とにかく今、わたしのアイデンティティが強く揺れていることは確かです。



心身ともに、一向に調子の上がらない春です。





《生きてることが辛いなら/森山直太朗》
  

Posted by シナモン at 23:05Comments(0)

2010年03月15日

春愁

人が支え合って生きているのは間違いないと思います。しかしだからといって漫然と感謝を振りまけばいいのかといえば違う気もするし、そうしたいわば自然な優しさを善いことと認めたくない気もします。決して「善くない」と言いたいわけではなくて、あくまで一種の妬みと訝しみなのですが。

周りの人のために何かを成し遂げる、という言い方も、モチベーションとなりうることは認めますがそれ以上のものではないと考えます。返報性を強く意識せずとも、わたしは何かしらの成功は基本的にまず自分のためだと思っていますし、それ自体は悪いものではないとも思っています。

のっけから重たい話をしてしまいました。多少の事情からふと、誠意や身勝手さ―つまるところ倫理でしょうか―について考えてみたくなったのです。
ただ、いま上手にまとめられる気はしませんし、細かな事情をお話しするのも何となくはばかられるので、中途半端ながらこれ以上は触れません。機会がありましたらどうかまた聞いてください。

身近の些細ないらだち(と、書いてしまいますが)からこんなことをごちゃごちゃと考えるのもスマートではないのかもしれません。しかし内実を意識してこそ諸々の行動が誠実さとして結実するのではないでしょうか。あるいはもし、こうした領域まで無意識的にイメージに操られてしまうとしたら、恐ろしいとは思いませんか。



いろいろと考えていたら疲れてしまいました。いつもながら、しゃべるだけしゃべっておしまいです。
こんなことをあなたに宛てて書きながら、いまわたしがあなたのことを想っているのか、もはやわたし自身にはわからなくなっています。きっと想っている、そう信じて綴り続けています。
  

Posted by シナモン at 00:59Comments(0)

2010年03月12日

スウィッチ!

電車の窓から、めずらしくボンヤリと外を眺めていました。
普段は音楽を聴いたり本を読んだり眠ったり、とかく何かをしたがります。昨日もそうして過ごす、という選択は可能だったわけですが、しかしわたしは景色を眺めていました。

よく「人生に無駄な事はない」と言います。まったくその通りだと思います。「人生に有意義に捉えられない事はない」と言い替えるとより明らかでしょう。
こうした言葉自体にさほどの意味は感じませんが、しかしこれを実現させながら生きてみたいものだ、とは思います。ボンヤリとしたその生活をも活かしきることは、やはり容易ではないのでしょう。



友人―そう、以前登場した彼女です―に、「文章がきれい」とほめていただきました。
ほめ言葉は何であれうれしいものですが、これは本当に心にしみわたる一言でした。
彼女の俗っぽい文章はかえって持ち前の快活さも感じさせ、何より「きれい」の3文字が言いようのない温かみと甘美さを漂わせていました。

ここまで書いてようやく、わたしは自らがいかに野暮であるかに気付きます。なんとはなしに、デリダの言う(書く)暴力性を思い返しています。

とまれ、井上靖風に言えば、美しい故里に生まれながら美しい心も持たないわたしですから、せめて文章くらいは美しくありたいと思うのです。
  

Posted by シナモン at 15:15Comments(0)

2010年03月10日

Beautiful Fighter

大学の成績が出ました。
今までではじめて、思っていたよりも良い成績でした。

この1年、大学の授業について言えば真面目に取り組んできたつもりです。出席もよくしたと思いますし、何より能動的に入ってゆけていたと思います。ようやく「取りたい授業」に専念できたということが大きかったということでしょう。
ただ、レポートや試験に十分な力を尽くせたとは言い難く、不安と不甲斐なさに打ちひしがれていました。客観的な評価がどうであったにせよわたしの1年間の内実が変わるわけではありませんが、評価が低ければ少なくとも来年に影響を及ぼすことは間違いありません。

そうした重苦しい気分からようやく解放されたわけです。特に専門科目の成績がよかったのは今後を考えると大きかったように思います。
「客観的な評価がどうであったにせよわたしの1年間の内実が変わるわけではありませんが、」それでもよい内容ならばよい気分で2009年度を締めくくれます。本当に、ほっとしました。



話は変わりますが、ここ数日の寒さはすさまじいものがありますね。
昨晩は猛烈にアラレが降っていました。いったい何と呼ぶんでしょうね。暴風雨、暴風雪ですから暴風霰でしょうか。
今日も晴れ間はのぞいたものの冷え込みました。散歩でもしようと思っていたのですがついに家から出られませんでした。



元気も出てきたので、がんばります。  

Posted by シナモン at 19:28Comments(0)

2010年03月07日

いまはやり、「生活」

いつからでしょうか、わたしはすっかり歯が悪くなりました。あとは親不知くらいで、たいていの症状のカテゴリーは制覇してきています。

今回は歯茎にできものができました。膿を出してもらったり抗生物質を飲んだりしたのですが、快方には向かいつつも治ったのかはよくわかりません。
調べてみたところ、恐らく虫歯の菌が侵入したものと思われます。はじめ歯槽膿漏を疑っていたのでいくぶん気分は楽になりましたが、なんといっても歯茎の違和感が残るだけにすっきりしません。



詳しく内容を理解しているわけではありませんが、快活で知られる友人が大いに悩み苦しんでいるようです。

わたしは大学に入ってから独りで過ごしてきたと言える自信があります。決して自嘲ではありません。単なる事実です。
もちろん、周囲とかかわりがなかったわけでは決してありません。むしろ友人や家族は重んじているつもりです。
しかし絶対的にわたしは独りでしたし、今もそうです。全てこの身一つに受けてきています。

友人は周囲の心ない噂に耐えかね、また擁護してくれる彼女の友人を板挟みにすることのつらさも感じているようでした。だから相談するのはやめて彼女自身で、一人で引き受けようと述べていました。

自分自身で苦難を背負いきるということは、その言葉がある種の美しさを見せてくれる反面、本当に心身に堪えます。
彼女が空虚な重荷に苦しむことも、無意味とは言えないのでしょう。しかしながらわたしの思いとしては、彼女にはそんな思いをしてほしくありません。自分が乗れるような相談ではないし、何か力になれるとも思わないけれど、とにかく人と共有してほしいと思うのです。

あらためて、人と生きる大切さを思った次第です。



おもしろネタ、ありますよ。でも説明が長くなるので自重します。





《「端然」》
  

Posted by シナモン at 01:30Comments(0)

2010年03月02日

幸運を呼ぶカラチ

すっかり申し遅れたかたちになりましたが、タイトルは内容と無関係なワードをデタラメにチョイスしているだけです。こう書くと「デタラメ」も外来語のようですね。

それから末尾の《》は、その時思い浮かんだサムシングをメモしています。
昨日の九州大学法学部は、再来年度から急に受けづらくなるようです。驚いたので書き留めておきました。

そういえばこの間"the Butterfly effect"(バタフライ効果)という記事を書きましたが、同名の映画(ドラマ?)があるようですね。
ただあらすじを見る限り、バタフライ効果というよりタイムパラドクスでした。実際どうかはわかりませんが。



月のはじめに意気込むと、決まってつまづくのがいつものわたしです。覚えているだけでももう10年くらいこんな感じです。
案の定今月もけつまづいてしまいましたが、そういうものだと思えば案外何でもないものです。

ただいずれにせよ、トータルでの成果が求められる月であることは間違いありません。髪を切って穢れを祓い、アグレッシブに生活してゆく所存です。



歯茎の腫れが不安です。





《Creamed potatoes/矢井田瞳》
  

Posted by シナモン at 12:44Comments(0)

2010年03月01日

前足を希求して

2月が過ぎ去りました。
わたしにとっては驚くほど腰の重い月で、かつ体調面でもアクシデントがあり、不満以外の何物でもありませんでした。よいニュースといえばバイト先でお世話になっている方がご結婚したことと、町田に行けたことくらいでしょうか。

あなたはいかがでしたか。



今日は順天堂の保健看護学部の入試があるようです。案内の人が立ち、見慣れない制服の高校生が歩いていました。



今日でオリンピックも終わりとなります。スポーツ好きのわたしはついつい見てしまったわけですが、単純におもしろい競技の数々にワクワクさせられました。
日本選手の活躍を取り上げるのは結構ですが、それ以外にもいろんな競技を取り上げてほしかったなとは思います。NHKの貴重さと、リュージュの事故の皮肉を感じずにはいられません。

アイスホッケーの後に観たサッカーが、なんとものろまで平和なスポーツだったことも付け加えておきます。スロバキア、惜しかったですね。



今月も佳き月となりますようお祈りしています。





《九州大学法学部》
  

Posted by シナモン at 23:19Comments(0)