ヘテロトピア
先日、所用で埼玉に行ってきました。
ついでにどこかに寄ろうと思い、どうしたものかと迷っていたのですが、気付くと以前住んでいた土地へと向かっていました。
さしたる用はなかったのですが、いざ行ってみると、これはぜひとも来る必要があったのだという気がしてきました。大学生活の総括を、気持ちの上だけでもする、しようとするべきだったのだと。
わたしの住んでいた部屋には誰か入居しているのでしょう。4分の1ほど開いた雨戸から、暗闇のなかにレースのカーテンが見えました。
馴染みの店には相変わらずあのおばあさんがいました。
酒屋さんが店を閉めてからしばらくテナントが入っていなかった場所は、見慣れないスーパーになっていました。
安いのはいいけれど、あのなんともいえぬ「商店」という雑然さが消えていたのは少し寂しく思われました。それでもシャッターが下りていた当時を思い出し、ひとまずほっとしました。
狭く、また工事が多く、わずらわしく思っていた道はすっきりと整っていました。
わたしがかの土地から離れた要因に、雑然とした街並みが多少なりともあったことは否めません。素直に好ましい感じを受けました。
よく行っていたレストランで夕食を食べました。見慣れた店員もいましたが、よもやわたしのことを覚えてはいないでしょう。
歩いた範囲では、あまり街並みは変わっていませんでした。きっとわたしも変わっていないのでしょう。
歳々年々なんとやら、とはいうものの、相変わらず屈折し、迷っているわたし。そして内容はともかく、その悩み方もたぶん、大して変わってはいないはずです。いわばわたしの「文法構造」は、やはりあの頃と同じだなと思うのでした。
来年の今頃はまた、どこかに引っ越しているはずです。そしておそらく別の土地に通っているはずです。
場所への思いを実感として大事にかみしめながら、研究をしてゆけたらと思っています。